訪れる人は皆、北岸の視点場からの風景で満足してしまいがちですが、是非棚田内部にも足を運んで(生業のご迷惑とならぬよう徒歩で)、畦畔植生と稲の共存にも気づいていただければと思います。
原 祐二 / 和歌山大学
有田川の穿入蛇行により形成された弧状の河岸段丘面に展開する棚田であり、北岸の高台視点場からは絶妙な俯角で棚田全体と背景集落・山林を望める。
当地は中世の阿弖河荘に遡り、現在に繋がる土地利用の基礎は、大庄屋笠松左太夫が集落・農地開発を行った近世に築かれた。明暦元年(1655)、湯と称する灌漑水路網の整備が始まり、水田化が進展した。現在も水利組合長の下に水守が定められ、水路管理が共同で行われている。耕地が限られた当地では、畦畔や集落の後背斜面なども山畑に利用され、2013年の重要文化的景観選定に続き、2021年には日本農業遺産に認定された際大きな評価ポイントとなった。
絶妙な俯角で独特な弧状の棚田を、背景の集落・森林とともに望む、みるべき美しきランドスケープであると同時に、棚田内部に降り立つと、稲穂や畦畔の特用林産物にも目が止まる。審美的価値、生業に基づく文化景観としての価値が共存する唯一無二の景観である。