当時のままに残るこの滑走路の上に立つと、空の広さが感じられる。そして、この滑走路から特攻隊「白鷺隊」が飛び立った歴史を思い巡らせられる。戦時中に滑走路横の工場で組立てられた紫電改、操縦訓練を繰り返した練習機…。今では戦時中当時の記憶や物が薄れ、無くなる中、ここは飛び立った人や関わった人たちの継承の場として、現代を生きる私達へ繋がる大切な場である。
福井亘 / 京都府立大学
鶉野飛行場は、旧大日本帝国海軍による滑走路がほぼ当時の状態で残る貴重な近代戦争遺産である。鶉野は、川に挟まれ、広くなだらかな平野を有し、鉄道駅の近さを活かして旧姫路海軍航空隊の基地として鶉野飛行場が作られた。当時は、九七式艦上攻撃機などを使った実用訓練が行われ、白鷺隊と名付けられた神風(しんぷう)特別攻撃隊が飛び立った飛行場であり、現在も周辺には高層建築が無く、当時の景観をある程度保っている。第二次世界大戦(アジア・太平洋戦争)時に造られた滑走路や掩体壕、防空壕、弾薬庫、機銃座跡などの近代戦争遺産がまとまって残っていることは、特筆すべきものである。戦争の記憶を後世へ繋げるために、資料を始めヒアリングなどによる記録を地元の人が中心に進め、それが現在の資料館設置につながっている。
鶉野飛行場は第二次世界大戦の近代戦争遺産として固有性が非常に高い。また、周辺の近代戦争遺産を学習の場として活用し、周辺住民や関係者の努力が遺跡と人をつなぐランドスケープとして貴重だといえる。