23/10/30掲載

人が「伝える」ランドスケープ資産

no.4-8「友ヶ島」

紀州海峡に浮かぶ友ヶ島は定期渡船で気軽に乗り入れることができ、船着き場から一歩足を踏み入れれば、そこには美しい森林が広がっている。また、海岸からは、太平洋や淡路島、四国まで見渡せる。小さな島ではあるが、無人島という性質から、多様な植生や珍しい植物が詰め込まれている。歴史的には、役の行者の聖地でもあり、島全体に他では感じられない神聖な雰囲気がある。砲台跡などの建造物に加え、近年にアニメのモデルとなったことからも、様々な層に向けて観光資源化することができ、歴史的・文化的にも、そして植生の面からも価値のある島だと考える。

多計萌夏・原 祐二 / 和歌山大学

大阪湾口部に位置する軍事上の要衝であり、明治期(明治22年~明治39年に建設された由良要塞、当初は紀淡海峡要塞の一部)に造られた砲台の遺構があり、近年廃墟愛好家含め多くの観光客が渡船にて訪れている。和泉層群上に位置する友ヶ島は、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の総称である。森林から海岸までの各種の環境から、それぞれの群集構造を示しており、森林の内部にはウバメガシやヤマモモ、アカマツを主体とした貴重な海岸林および湿地生態系が存在する。友ヶ島は100年以上にわたって一般の人間の立ち入りが制限されていたため、植物相の回復が進んでおり、特に地ノ島は急な斜面で囲まれていることから、軍の使用を含めて人為的攪乱が進んでいない。友ヶ島は日本書紀にもその名が出ており、古くから交通の要所や修業の地として知られている。明治初期には友ヶ島は軍事要塞として様々な施設が作られ、戦後は観光地として利用されている。昭和25年には瀬戸内海国立公園に編入された。全島樹林をもっておおわれた緑の島で、紀北沿海地帯の植物相本然の姿としており、多彩な土地条件から500種近い植物がみられる。沖ノ島では明治5年に英国人技師ブラントンにより花崗石の切石積による白亜の洋式灯台が設置された。

廃墟となった明治期の砲台群と産業土木遺産的価値も高い友ヶ島灯台が、国立公園内の海岸林生態系の中に存在し、静かで独特のランドスケープを形成している。

①池田谷久吉(1949):史蹟の加太友ヶ島:高島屋出版部,70-76
②和歌山市(1983):友ヶ島学術調査,1-14