遊子水荷浦のこの風景は、気の遠くなるような時間を経て、人の手で形作られてきた「生業」の力によるものといえる。眺めるだけで人の力強さと素晴らしさを実感する「景」である。
福井 亘 / 京都府立大学
近世から近現代の長期間にかけて、山の頂上までの急斜面に石積み、石垣によって段々畑が作られている。かつては、近接した漁港から水揚げされた鰯が、この段々畑へ肥料として移動され、漁と畑の連動、半農半漁の営みによって、今の景観が作り出されてきた。昭和30年代を境に真珠やハマチ養殖へと転換し、漁業と段畑の営農は連動が無くなったが、現在もその景観は可能な限り、維持・継承がされている。
現状の維持が厳しい中でも、今の段々畑では、根菜類を中心に栽培され、営農が継続しており、漁も継続がされ、半農半漁が一体となった景観が維持されている。この景は、固有性が高い生業景観を過去から今に至るまで、時代に合わせ、その形を綴り、次の世代へ繋ぐ努力をしている「生きた景」である。