明石海峡は古より海上交通の要衝として重要な空間であった。北岸の舞子の松原は風光明媚な地として愛でられてきた一方、淡路側の岩屋集落も文化の中心であった。1998年には、阪神淡路大震災の影響を克服しながら明石海峡大橋が完成し、海峡を一体化する景観が出現した。現在の景観は従来の東西の海上交通と新たな南北の陸上交通の交差によって形成され、明石海峡大橋自体がもたらす景観も優れた新景観となっている。
柴田 昌三 / 京都大学名誉教授、兵庫県立淡路景観園芸学校学長兼校長
明石海峡をはさむ両岸でそれぞれ愛でられてきた歴史的文化的景観に、明石海峡大橋が加わることによって、すばらしい景観が形成されている。舞子の松原の景観と岩屋の漁村景観が優れたフォルムを持つ明石海峡大橋によってつながり、一体的な景観を形成している。両岸はかつてから風光明媚な土地であると同時に豊かで長い歴史を経てきた地域である。明石海峡大橋の開通により、地域の関係性は大きく変化した。具体的には、岩屋集落の衰退、舞子地域の陸上交通の結節点としての発展が認められる。明石海峡が生み出す海産資源は現在も健全であり、対象地の景観に趣を与えている。
明石海峡大橋によって生まれた景観は明石海峡に新たな価値を創出した。それは地域の交通や情報交流に大きな変化をもたらしたものであり、景観に与えた影響も大きい。