原爆ドームから約2.9kmの距離にあり、現存する最大級の被爆建物である旧広島陸軍被服支廠は、日露戦争後の軍都広島に軍服・軍靴等の製造・貯蔵を目的に建設された。1945年の原子爆弾による被爆直後は臨時の救護所として使用され、その後も1990年代後半まで教育機関や民間企業、学生寮に転用され、広島の復興を支えた。一時は財政難を理由に取壊しが決まったが、2万筆を超える市民からの訴えを受け、保存されることとなり、2024年には国の重要文化財に指定されている。現在は、広島県によってその保存活用策が検討されている。
被服支廠は、被爆建物として重い歴史を背負う。一方、被爆後も広島の復興に貢献し地域と共に戦後史を刻み続けてきた。なかでも学生寮として使用された当時の様子は、被爆建物という厳格なイメージからはかけ離れた自由奔放な表情をみせる。ランドスケープにおいて、その背後にある厳格な歴史に目を向けることは言わずもがな大切なことである。しかし、厳格であるが故にその影に隠れがちな現在と地続きの身近な地域史にも光を当てたとき、そこには以外にも見落とされ続けてきた重要な価値が浮かび上がる。
酒井 恵 /(株)ニュージェック
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酒井 恵・岡田 昌彰「戦後の旧広島陸軍被服支廠における転用の変遷及び周辺地域との関連に関する研究」ランドスケープ研究 87 (5),521-524