22/10/31掲載

実務家が見出すランドスケープ資産

no.11「平和大通り」

平和大通りは、広島の復興を象徴する「杜」である。原子爆弾投下後のあまり惨状から「75年間は草木も生えない」と言われた広島では、焼け焦げた幹から芽吹いた樹木に市民が希望を感じ、「被爆樹木」として大切に保護した。国内外に寄付を募り、寄せられた様々な樹木を平和大通りに植樹して育てた。戦後75年を越えた現在、平和大通りは緑豊かに復興した広島の象徴となり、平和記念公園の南北の都市軸と交わる東西の都市軸として、世界からの来訪者を平和記念公園へ導き、かつ市民生活に潤いを湧出する「杜」となっている。戦後混乱期の住宅難の中、幅員100mの巨大な公園道路は当初市民の理解が得られず批判の的となったが、それでも計画を貫いた関係者の信念は語り継ぐべきものである。

復興の象徴として、原爆の惨禍や復興の記憶をランドスケープとしてどのように未来に継承していくかが課題である。復興の年月を蓄積した被爆樹木や寄付樹木、この場で起きたことを伝える様々な慰霊碑、かつて海岸線であったことを示す岩礁など、広島の歴史的蓄層を示す資源を、ただ保存するだけでなく、来訪者や市民にどう伝えていくか、ランドスケープとして五感に訴えられるか、75年を越えて、更なる展望が必要である。

青木晋 / 株式会社LAT環境設計