奈良の都、平城京のメインストリート、朱雀大路は路面幅が約75mあった。関西国際空港のA・B両滑走路の幅が60mであるのと比べても、これが実用の域を遥かに超えたものであることは容易に理解できよう。海外からの賓客は京の南端に位置した羅城門で迎えられ、この大路を約3.7km北に進み、平城宮へと導かれる。朱雀大路は国家の威厳を示す象徴的存在であった。奈良市柏木町には、この朱雀大路と側溝が水田の一区画、水路に変じて、連なった地割として遺存する一画がある。
朱雀大路を含む条坊の遺存地割は、江戸時代以来、平城京研究の基礎となってきた遺構であり、この地の歴史の重層性を物語る歴史的資産である。この場に立つと、西に薬師寺の東西両塔や生駒の山並みを、東に東大寺や御蓋山を望むことができ、平城京の空間構造をも把握できる。大地に刻まれた、都が京都へ遷って以降の千数百年間の人の営みと歴史とを甦生させる風景である。近年の開発により、急速に失われつつあるこの資産を、いかにすれば後世に残していけるのか、そして活かしていくよりよい方策とは。残された時間はさほど多くはないのであろう。
池田 裕英 / 奈良市教育委員会文化財課
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池田 裕英「朱雀大路-平城京の都市計画-」 奈良市埋蔵文化財調査センター編『奈良を掘る』
pp16,17 奈良市教育委員会 2016