谷狭窄部に築かれた人々の労苦の結晶である巨大な堰堤、堰堤以外は自然丘陵が堤体として機能しているがゆえの変化に富む池岸に囲まれた広大な池面、その周囲を囲むなだらかな丘陵、そして奥に屹立する急峻な讃岐山脈の山容—土地固有の自然と人々の営為が築き上げた独特の風致漂う壮大な「山水勝地風色の名池」を、まずは堰堤から、次いで池周を巡りながら、ゆっくりと味わって欲しい。
井原 縁 / 奈良県立大学
香川・徳島県境の讃岐山脈から派生し丸亀平野を流下する金倉川の上流、標高200~250mの丘陵状台地のほぼ中央に立地する広大なため池である。金倉川が平野部へ流れ出る峡谷の最狭部に巨大な堰堤を築き、流れを堰き止めることで造り出された。周辺2市3町にまたがる約3,000㏊の水田を広く潤す。その歴史は古く、大宝年間(701~704)に讃岐国守道朝臣が築堤したのが始まりと伝えられ、以後何度も破堤と再築・修築を繰り返してきた。特に弘仁12年(821)の弘法大師空海による再築は広く知られている。
堤体より南東を望むと、広大な池面の周囲になだらかな丘陵地、その奥には讃岐山脈の山々がそびえ立つ。また、池岸の形状は変化に富み、南側は複雑に入り組み、北側は緩やかな曲線状である。令和元年(2019)10月16日、農業灌漑目的のため池としては全国で初となる国の「名勝」に指定された。
古代より、比類ない広大なスケールへの感嘆と畏怖、弘法大師築堤の説話や龍/大蛇の棲む池伝承等の歴史的価値、さらに広大な地域の水田を灌漑する社会基盤施設としての社会的価値への認識が連綿と継承されてきた。さらに,特に名所として定着した近世後期には、堰堤、池面、池周の丘陵、奥の山々を一体的に捉える風景認識が確立した。この土地固有の自然と歴史が生み出した独特の景観、そしてそれを見つめ、愛でる人々の思いの積層が醸成した風致が、このランドスケープの価値である。