毒ガス開発、製造による施設が現在も残る近代戦争遺構の歴史的な空間。そして現在では、うさぎの島として観光客に親しまれ、静と動の島景観が形作られている。この大久野島は過去と現在を繋ぐことを見つめることのできる場となっている。
福井 亘 / 京都府立大学
大久野島は、近代戦争遺構が残り、今ではうさぎが多く生息している。この島は、広島県瀬戸内沿岸のほぼ中央に位置する忠海の沖合にあり、平家の時代の古くから瀬戸内の交通の要所であった。日清戦争後の近代戦争の砲台や施設等が設置され、昭和2年(1927年)には島全体が旧帝国陸軍の毒ガス製造と開発を目的に造兵廠火工廠忠海兵器製造所として稼働し、管理下となった島である。昭和20年(1945年)まで製造と開発が続けられ、現在では近代戦争遺構として、「記憶を繋ぐ」という価値の高い島となっている。
昭和46年(1971年)に忠海町の小学校で飼育されていた8羽のうさぎ(アナウサギ:Oryctolagus cuniculus (Linnaeus, 1758))が放されて、野生化したと云われており、1,000羽以上(注:コロナ禍以前の羽数、環境省中国四国地方環境事務所、2020)のうさぎが島内全域に生息している。現在では、このうさぎを目的に見学する国内外の観光客が多い。大久野島は、うさぎの島として今では有名であるが、毒ガス資料館を始め、近代戦争遺構といった場が現存し、島の生態系を考える場、歴史を学ぶための島として、価値が高い。